『呉線の主役たち』と題し、C59 C62の活躍をご覧ください。
旅客列車牽引の日本の大型蒸気機関車の集まった『呉線』です。
タイトルの写真はC59 161(昭和43年3月)です。
呉線・・・・・昭和43年3月(1968/3)C62 41
瀬戸内海の海辺をゆっくりと。
呉線・・・・・昭和44年5月(1969/5)C62 23
私が呉線を始めて訪れたのは昭和43年3月、それからも3度訪れましたが 昭和45年10月の電化が近づくにつれ廃車となっていくさみしい光景も見なければなりませんでした。
東海道・山陽・常磐等で特急列車を牽引していた彼女たちの余生とも言える瀬戸内海の海辺の町での活躍は、本当にのんびりとしているように私は感じました。
呉線・・・・・昭和45年1月(1970/1)C59 164
一番列車を撮影するのに、小屋浦だったと思いますが(記憶が定かではありません) 駅のベンチで夜明かしをしました。改札口に木製のガラス戸はありますが、ちゃんと閉まらない隙間から、海からの冷たい風が容赦なく吹き込んでいました。
宿屋のない駅でした。
翌朝はやく駅員さんに起こされ、中に入れて頂き、“エ”マーク(鉄道省)のはいった火鉢と駅員さんの暖かかったこと。
「いただいた お便り」・・平成20年7月27日・・呉市 石井さまより
こんにちは。「呉線の主役たち」の一番列車、拝見しました。場所は小屋浦とありましたが、呉市天応伝十原町です。
写真右の海は、今は埋め立てられ、呉ポートピアパークになっています。奥の造船所は住宅地になりました。
現在の風景を添付します。
(今昔の写真はこちら)
山陽本線・広島・・昭和44年5月(1969/5)C62 37
昭和44年頃はあの広島駅にもSLがいたんですね。
柱に「ひろしま」の駅名を見て私も思い出しました。
呉線・・・・・昭和44年5月(1969/5)C59 162
昭和44年には、最強かつ最後のパシフィック機であるC59は呉線の3両(161号、162号、164号)のみとなっていた。
161号は広島、164号は梅小路で保存されてる。
呉線・・・・・昭和45年1月(1970/1)C62 15
昭和45年10月で呉での仕事を終え、C62 16と共に12月に北海道に渡り急行『ニセコ』牽引で花道を飾る。
呉線・・・・・昭和44年5月(1969/5)C62 48
わが国最大最後の旅客用機関車であるC62。
海外の鉄道ファンからも日本のC62はすばらしいと賞賛されていた。
呉線・・・・・昭和43年3月(1968/3)C62 47
塀も柵もない。家のすぐ側が線路。
のどかじゃないですか・・・・・。
呉線・糸崎機関区・昭和44年5月(1969/5)C50 82
いわゆる「トラヌリ」をされいるが機関区内の入れ替え作業が彼の仕事である。
“彼”と呼ぶ方が似合いませんか?
呉線・・・・・昭和45年1月(1970/1)C62 17
のどかな海辺で急行『あき』引くC62 17はSLのスピード記録を持っている。
記録の説明は、下の写真に。
呉線・・・・・昭和45年1月(1970/1)C62 17
昭和29年(1954)12月15日 C6217号による129Km/hのスピード記録は、狭軌における蒸気機関車による世界の鉄道史上さん然と輝くものである。
場所は東海道本線の木曽川駅と岐阜駅間の木曽川大橋梁。この記録はスピード記録を作ろうとしての走行ではなく高速化時代に向けて、老朽化しかけている橋梁の安全性チェックのため、理論上の推測もさる事ながら、実際に車両を走らせてみた結果として、達成されたものである。