『 思い出のSL』と題し、糸魚川の東洋活性白土の構内線で活躍していた頃の「くろひめ号」の思い出のスナップです。
私が糸魚川の東洋活性白土を訪れたのは、昭和49年10月23日
その思い出深い地を23年ぶりに訪ねました。(平成9年6月6日)
1997年のアップです。23年ぶりと書きましたが、今日からなら 50 年前です。
会社は昭和57年に移転し『くろひめ』は糸魚川市に寄贈され、
糸魚川小学校に保存されていました。
東洋活性白土・構内線・昭和49年10月(1974/10)
『くろひめ』は昭和31年、協三工業生まれの国内向け最後の蒸気機関車です。
B形(車輪2)5トン級で軌間610mmの機関車です。
東洋活性白土・構内線・昭和49年10月(1974/10)
石灰の袋を満載した貨車を6両引っ張って。
荷物の量を見た時、本当に動くのかな?と思いました。
東洋活性白土・構内線・昭和49年10月(1974/10)
東洋活性白土は糸魚川の駅から近いけれどわかりにくいところだったと覚えています。
きれいに掃除された事務所に伺い記帳の後、50前後の紳士に丁重な説明を
して頂いき恐縮した記憶があります。機関車も敷地内も掃除が行届き、
そこに働く人たちの人柄がしのばれ、気持ちよく撮影させて頂きました。
東洋活性白土・構内線・昭和49年10月(1974/10)
機関士さんにも色々とお話を伺えました。
また糸魚川の積替えホームまで、あの狭い機関車に私と家内の二人を乗せて頂きました。
私にとってたいへん思い出深い旅でした。
東洋活性白土・構内線・昭和49年10月(1974/10)
小型だがすっきりとまとまった顔をしているではありませんか。
東洋活性白土・構内線・昭和49年10月(1974/10)
一人で機関士も整備士もみんなこなしておられたこの方
長い時間お話を伺いました。
東洋活性白土・構内線・昭和49年10月(1974/10)
平成9年にはこのあたりは、住宅でびっしり埋まり当時の面影は
山も稜線のみに見る事が出来ました。
糸魚川市立糸魚川小学校・・平成9年6月6日
校門を入った右手に静かに子供たちを見守っていました。
昭和49年・平成9年 くろひめ 東洋活性白土・構内線・昭和49年10月(1974)と平成9年6月(1997)
北陸本線のポールとレールのカーブの具合からこの場所に積替えホームがあったと確認できました。しかし23年の歳月は如何ともし難く、想い出の地は心の中にとどめるもので・・・・・と思いました。
最後になりましたが撮影に際し糸魚川小学校の先生方にお世話になりました。 ありがとうございました。