おくのほそ道と五色沼

「休みが取れる」と決まった時、「東北へ行こう」と一致。

そして私には家内との「37年前の約束」があり、最終に会津を選びました。

チューリップ 37年前の約束とは

 結婚した年(昭和49年)は、蒸気機関車が現役引退の年でした。6月に結婚し、10月に家内の希望で会津方面(五色沼)観光の旅に出ました。
当然のことながら、蒸気機関車の撮影も行程に入っています。
会津若松ー只見の只見線です。
大阪を列車で出発し、北陸本線の車内でSL撮影の人と出会い、情報交換。
家内に「糸魚川にちょっと寄っていい?」と・・・
東洋活性白土という会社の駅構内運搬にミニSLが頑張っている。その撮影に寄ろうと。ここで1日消費。
只見線でも日数を重ね、気が付くと、五色沼観光の時間がなかった。
「機関車は、なくなるけど、観光地は逃げないから次にしようね」と私は、言ったようです。

家内は「もう時効」って言ってくれますが、あれから37年、ついに。

おくのほそ道と五色沼
おくのほそ道と五色沼

風船アイコン 平成23年7月2日(土) 晴れ

 久しぶりに新幹線での移動です。まず「のぞみ 220」 9:07 新大阪発で東京へ。
「はやて 127」 11:56 東京発で仙台に14:03着。初日は、移動日で、仙台観光のみで岩手県・北上での泊りです。

杜の都
杜の都
杜の都

仙台が「杜の都」と呼ばれるのは、風雪を防ぐ木々がほとんどなかったが、仙台藩の藩祖 伊達政宗が城下町を造るには植林奨励策必要と植樹を奨励したのが始まり。これが約400年前の江戸時代。
 第2次世界大戦の末期 1945年7月10日の仙台空襲後、新しい道路整備が行われた。
仙台市電が廃止されてのち、市電が走っていた道路に中央分離帯を造り、両脇の歩道を広げ、ケヤキを植樹した。
右の写真の定禅寺通りのケヤキ並木は、仙台のシンボル的存在となっている。

街中とは思えない「木漏れ日の空間」だ。


伊達政宗の霊屋 瑞鳳殿

空襲で焼失。
1979年の再建。桃山建築様式の極彩色を施した建物だ。

伊達 政宗(だて まさむね)(1567-1636)は、幼少時に患った天然痘で右目を失い「独眼竜」の異名を持つ。
関ヶ原の戦いでは、家康につき、東軍勝利に導いたが、徳川幕府体制確立後、仙台に移城。
以後、桃山文化を取り入れ、仙台城と城下町の整備に腐心し、仙台藩繁栄の基礎を固めた。
また、遣欧使節をローマに派遣するなど、国際人として活躍。

現在、粋な人を「伊達者」というが、ルーツは伊達政宗だといわれている。
朝鮮出兵の際、きらびやかな装いで登場し、「伊達者」と声をかけられた所以で、しゃれ者の代名詞となったとのことだが、真偽は不明。

伊達政宗の霊屋 瑞鳳殿
伊達政宗の霊屋 瑞鳳殿
伊達政宗の霊屋 瑞鳳殿
伊達政宗の霊屋 瑞鳳殿


仙台城跡(青葉城址)

 伊達政宗の居城。関ヶ原の戦い(1600)ののち築城を開始し、慶長7年(1602)に完成。家康の警戒を避けるため、天守閣を設けなかった。

城址には、政宗公の騎馬像の他、石垣、大手門の脇櫓を見ることができる。

ここからは、仙台市街が一望(下右の写真)できる。
おにぎり 昼食は、仙台発祥の冷し中華をいただく。
昭和12年に「夏に客足が落ちるので夏でも食べることができる中華そば」を考案とガイドブックで読んだ。ついでに餃子も追加して。


仙台市街

仙台市街

星 仙台発 18:30の「やまびこ 241」で北上(19:32着)に移動し、泊。

仙台城跡(青葉城址)
仙台城跡(青葉城址)


中尊寺

風船アイコン 平成23年7月3日(日) 晴れ

 ホテルからレンタカーで「おくのほそ道」へ

レンタカーってところが現代ですね。

芭蕉は、弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸深川の採荼庵(さいとあん)を出発し、全行程約600里(2400キロメートル)日数約150日間(約半年)中に東北・北陸を巡って元禄4年(1691年)に江戸に帰った。

     

行く春や 鳥啼魚(とりなきうお)の 目は泪



 おくのほそ道旅立時の留別句。大旅行への出発に際し、行く者も留まる者も離別の思いがひとしお。旅に出る自分を空飛ぶ鳥に、江戸に留まる門人を魚にたとえたといわれている。

1週間前(6月25日)に平泉が、世界遺産に登録された。
東日本大震災復興への弾み・・・明るいニュースだ。

カメラアイコン 中尊寺  鐘楼から本堂と金色堂

芭蕉は、5月13日に中尊寺を訪れ

     

五月雨の 降り残してや 光堂



中尊寺
中尊寺
中尊寺
中尊寺

カメラアイコン 左の写真は、中尊寺ハス

このハスの種は、4代泰衡公の首桶の中から発見され、1998年に800年の眠りから覚め花を咲かせた。花は直径15センチ、淡いピンク色

カメラアイコン 高館義経堂(たかだち ぎけいどう) 義経終焉の地

 中尊寺から車で5分ぐらい走ります。

 文治5年(1189)、頼朝の圧力に屈した藤原泰衡が、源義経を急襲。
義経が妻子とともに自害したと伝えられる。
山頂には義経堂や、芭蕉の句碑などが建つ。

カメラアイコン 3枚目の写真は、義経堂から北上川を臨む。
義経や弁慶、そして芭蕉も眺めたであろう景色だ。

 芭蕉は、元禄2年(1689)旧暦5月13日(6月29日)に 高館に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様を眺め、100年にわたり平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経を思いこの句を詠みました。

     

夏草や 兵(つはもの)どもが 夢のあと



毛越寺(もうつうじ)
毛越寺(もうつうじ)
毛越寺(もうつうじ)

毛越寺(もうつうじ) 本堂

 高館義経堂から車で5分ぐらいです。

 嘉祥3年(850)に、中尊寺と同年に慈覚大師円仁(じかくだいし えんにん)が創建。その後大火で焼失して荒廃したが、藤原氏第2代藤原基衡夫妻、および子の第3代秀衡が壮大な伽藍を建立した。

浄土庭園
浄土庭園
浄土庭園

浄土庭園とは、仏の世界を表現すべく、仏堂と園池を一体的に築造した庭園。

遣水(やりみず)
遣水(やりみず)
遣水(やりみず)

遣水(やりみず) 曲水の宴(ごくすいのえん)

 遣水(やりみず)とは、池に水を取り入れるための水路で、平安時代の庭園の造り方を書いた「作庭記」の手法で、水流の中に様々な石組みを配します。

 曲水の宴(ごくすいのえん)は、毎年5月の第4日曜日に、遣水に盃を浮かべて和歌を詠む、平安時代の優雅な遊び。家内が、楽しみにしていましたが、水量が少なくちょっと残念。


曲水の宴

曲水の宴


星 鳴子温泉泊。



最上川下り

風船アイコン 平成23年7月4日(月) 雨のち曇り

最上川下りの予定ですが、朝からあいにくの雨
私たちの旅行は、めったに雨は降りませんが、梅雨の最中、しゃ~ないですね。
 
     

五月雨を あつめて早し 最上川(もがみがわ)



この句は、5月29日 最上川の河港大石田での発句を改めたもの。
発句は、「あつめて涼し」、舟下り後、「あつめて早し」としたのは
 長い五月雨の期間中に長大な流域に降った雨量を一つに飲みこんで増水した最上川が、濁流となりすさまじい勢いで流れ下っている。
「あつめて早し」に、日本三急流の一つである最上川の増水時の量感と速度感があふれている。

芭蕉は、日和を待って舟に乗ったそうだから、今日のような感じだったのだろう。水が澄んで川底まで見える状態ではなかったのだろう。

3枚目の写真は、白糸の滝。現在の舟下りの舟は、62名定員。
芭蕉丸で、濁流だとちょっと怖いかも。

最上川下り
最上川下り
最上川下り
最上川下り
最上川下り
最上川下り


銀山温泉

チューリップ  2人が、「ここは見てみたい」って思っていた銀山温泉です。
舟下り後、宿泊地に入り、さっそく散策します。
 山形県尾花沢市にあり、「おしん」の舞台となったことで全国的にその名を知られることになった。

銀山川の両岸に大正から昭和初期にかけての建築の旅館が立ち並ぶ。多くの旅館は、建築された当時としては非常にモダンな三層四層の木造バルコニー建築であり、外装には鏝絵(こてえ)が施されている。川には橋が多くかかり、また歩道にはガス灯が並んでいる。

鏝絵とは漆喰彫刻とも言われ、左官職人が鏝を使って描いた漆喰の絵のこと。
この写真では、ちょっと分かりにくいですが、屋根の上の屋号も鏝絵です。

散策コース内には、「焼き掘り」という工法=ノミ等を使わず薪木や木炭で岩の表面を加熱し、水で急冷して母岩から鉱床を剥ぎ取るように鉱石だけを採掘した銀鉱洞跡。
「夏いらず」という場所では、地下から冷風が噴出しており、蒸し暑さをしばし忘れ・・・2時間程度散策しました。

滝のそばも涼しかったですが、歩くほどに汗が滴る蒸し暑さでした。

2人が行きたかった場所なので、地酒も手伝って満足満足。星 銀山温泉泊。

銀山温泉
銀山温泉
銀山温泉
銀山温泉
銀山温泉
銀山温泉


山寺 立石寺(りっしゃくじ)

風船アイコン 平成23年7月5日(火) 曇り時々晴れ
 山形県山形市にある天台宗の寺院。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。山寺(やまでら)の通称で知られ、古来より悪縁切り寺として信仰を集める。
1015段の階段、雨の心配はありませんが、暑そう~。
左の写真が、1段目だと思います。

階段を上がったところが、本堂。

本堂にお参りして、向かって左手に歩くと、芭蕉と曾良の像(下左)

右手の階段を上って行くと「せみ塚」(2段目の左)

     

閑さや 岩にしみ入る 蝉の声



芭蕉は、元禄2年5月27日(1689年7月13日)に、この句をしたためた短冊をこの地に埋めた。
さらに上って行くと仁王門(2段目の右端)、運慶の弟子たちの作といわれる仁王様。

そして、開山堂と納経堂(左から3枚目)

暑い!!、芭蕉も7月中旬に参詣しているので、同じような暑さだったのでは。

そして1015段を上り詰めたところが、奥ノ院(右端)

山寺 立石寺(りっしゃくじ)
山寺 立石寺(りっしゃくじ)
山寺 立石寺(りっしゃくじ)
山寺 立石寺(りっしゃくじ)
山寺 立石寺(りっしゃくじ)
山寺 立石寺(りっしゃくじ)
山寺 立石寺(りっしゃくじ)
山寺 立石寺(りっしゃくじ)


蔵王 お釜

 御釜(おかま)は、宮城県柴田郡川崎町にある火口湖のことで、別名 五色沼(ごしきぬま)。

湖の水は強い酸性のため、生物は生息しない。

天候や太陽の光の射し方により湖の色が、変わるため「五色沼」と呼ばれています。

最大深度27.6m
平均深度17.8m
周囲1,080m
東西径325m
南北径335m

リフトの係りの人に「見れますか?」・・・「風が強いので見えるかも・・・」

2枚目の写真の「3秒後」にかろうじて「見えました」
山の天気は、変化が早い。
雪が残っていて、とにかく「寒い」

後で聞いた話ですが「めったに見えない」「1年のうち半分ぐらい」・・・
それならラッキーかも。
お釜付近では、だれとも会いませんでした。

蔵王 お釜
蔵王 お釜
蔵王 お釜
蔵王 お釜
蔵王 お釜
蔵王 お釜

車で3分下ると、いい天気(左端)
もう少し下がって「不動滝」は、晴天(2枚目)

蔵王大権現にお参りして、宿に向かいます(右端)

星 遠刈田温泉泊。


浄土平(じょうどだいら)

風船アイコン 平成23年7月6日(水) 晴れ

磐梯吾妻スカイライン(下左)で浄土平に向かいます。
浄土平に到着(下2枚目)。
吾妻小富士(1,707m)に上ります。
左端の写真が、吾妻小富士から一切経山を。

 一切経山(いっさいきょうざん)は、福島県福島市および猪苗代町にある山。吾妻連峰を構成する山の一つ。今も火山活動を続けている活火山。標高は1,948.8m。

吾妻小富士は、1.707mと高いので涼しいかと思いきや、1周するのに結構汗をかきました。

浄土平を離れ、会津へ。

浄土平(じょうどだいら)
浄土平(じょうどだいら)
浄土平(じょうどだいら)
浄土平(じょうどだいら)
浄土平(じょうどだいら)
浄土平(じょうどだいら)

途中、猪苗代湖等の眺望がきれいです(上の段右端)
説明は、下の写真3枚目

 秋元湖(あきもとこ)は、福島県耶麻郡北塩原村および同郡猪苗代町にまたがる湖である。桧原湖・小野川湖とともに裏磐梯三湖を形成する。
磐梯山の噴火によって形成された堰止湖であり、天然湖。(下右端)


五色沼(ごしきぬま)

 五色沼(ごしきぬま)とは、磐梯山の北側、裏磐梯と呼ばれる地域にある大小数十の湖沼群のこと。緑、赤、青など、様々な色の沼が点在する。

1888年7月15日、磐梯山頂北側、小磐梯を含む部分が水蒸気爆発によって山体崩壊を起こし、岩屑なだれが川をせき止め、数百の湖沼が形成された。大きいものでは、秋元湖、小野川湖、桧原湖があり、それらに挟まれるように位置する数十の湖沼群や地域が五色沼と呼ばれる。

写真左から、毘沙門沼、赤沼、るり沼
下段左に案内板

下2枚目は、沼から沼へ、結構な勢いで流れ込んでいる。
続いて、青沼、柳沼。

柳沼側に出たが・・・タクシーがいない。
毘沙門沼側に車を置いているので、戻らねば、ベンチにタクシー会社の電話番号を見つけ、戻れました。

散策コースは、私たちの足で1時間15分ぐらいでした。

星 東山温泉泊。

五色沼(ごしきぬま)
五色沼(ごしきぬま)
五色沼(ごしきぬま)
五色沼(ごしきぬま)
五色沼(ごしきぬま)
五色沼(ごしきぬま)


只見線(ただみせん)


風船アイコン 平成23年7月7日(木) 晴れ
昭和49年10月23日に、2人で訪れた只見線を辿ります。
まず、只見まで行って、会津若松に戻るルートをとります。

左から1枚目の写真は、会津蒲生ー会津塩沢間の第8橋梁です。
昔の位置(2段目2枚目)からの撮影は、今はできませんでした。
2段目2枚目の写真は、写真展用のパネルをデジカメで撮ったのでちょっとお見苦しくってごめんなさい。
大判で撮っていた分は、ホームページに載せていない事が判明しました。

真ん中は、早戸駅です。
ホームの後ろは、ずいぶん変わりましたが、ホームは37年前のままです。
37年前は、この駅で移動のため2時間ほど列車待ちをしました。


右端は、早戸駅から歩いて40分ぐらいでしょうか・・・第3橋梁。
37年前にも歩いて、撮影しました。

2段目右の2枚は、会津西方ー会津桧原間の第1橋梁。
現在でも、近くの「道の駅」の傍から少し上れば、この鉄橋の俯瞰は可能です。
しかし37年前は、鉄橋の傍で真横から撮りたく(2段目4枚目)、山の中に分け入り、細い木に登り、家内が下で支える・・撮影側はそんな構図でした。
夕方で、少し暗くなり、しかもマミヤプレス(大判カメラ)だったので、重くって、木の上は不安定で揺れるし・・・構図どころではなく、シャッターを切ったのを覚えています。
あれから、37年・・木々も成長し、昔の面影は鉄橋にのみに残っていました。(2段目3枚目)

只見線(ただみせん)
只見線(ただみせん)
只見線(ただみせん)
只見線(ただみせん)
只見線(ただみせん)
只見線(ただみせん)

機関車 学生時代から日本中を旅していた私ですが、鉄路の上ばかりで観光地には全く無縁でした。
結婚してから、観光地も行くようになりましたが、永く置き去りにした「家内との約束」は、もう少し残っています。
今回は、その1つを果たしました。
永いことお待たせ!!

震災後、家内と相談したのは、ボランティア活動は難しい(体力)としても、旅に出るなら「東北」だな・・・でした。

福島空港の搭乗口で、星形のお菓子をもらい(今日は七夕)、空路帰阪しました。

2011/7/9 記

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