熊野古道を訪ねて

最近は、「ぶらり旅」の話題は紀州ばかりで恐縮です。
7月のぶらり旅で大辺路街道の説明は書きました。
今回は、往時の面影が残る「古道」散策と参ります。
国道に寸断されたと説明板に書いてありますが、こんな「入り口」です。

今回歩いたのは和歌山県串本町有田から田並への街道です。
国道42号線を有田側から旧道に入ります。(海側)
滅多に人と会う事もない「旧道」
義母とよく花見に来た桜の傍にこの入り口はあります。

写真の階段を登ると小高い山の中です。
すぐに古道の雰囲気は充分感じられます。

熊野古道を訪ねて
熊野古道を訪ねて

田並と有田の境界標柱
田並と有田の境界標柱
田並と有田の境界標柱

11月16日(木) 快晴 

ちょっと歩くと道標がありました。
「東 有田浦  西 田並浦」とあります。
説明版には
「田並と有田の境界標柱」

「大タワの地蔵」から南北に伸びる稜線は、旧田並村と旧有田村の境界であった。
この稜線に「境界標柱」が残り、「東 有田浦 西 田並浦」と彫られている。
明治末期から大正初期の名近の地先漁場での境界争いは有名であるが、古来 田並と有田との間には境界をめぐっての紛争が繰り返されたという。
標柱杭もその度ごとに都合の良い方に移動させられたのかもしれない。
境界争いの根本原因は、いまだに明確になっていないが、田並と有田にとっては、過去の争いを思い起こさせる標柱の存在である。

木漏れ日の中、左端の写真では「古道」の雰囲気が伝わりません。

真ん中の写真はどうでしょう。
 石畳・・・往時のままのようです。    
   鳥のさえずりとゆったりとした時の流れ。
   その「時の流れ」に思いをはせて「ゆっくり」と進みます。
    

小高いとはいえ「山」  運動不足の私にはちょっと辛い。
  谷から出口に向かって杉木立の中を登ります。
  さて「この木は?」
  バラのように棘があります。

 「たらの木」というらしい。
   古道の一角にだけありました。

旧道への出口に向かってまた登り。
普通の山道ではなく、石畳も少し残っているし「熊野古道」って名前も手伝っていい感じの散策でした。

そして「田並の浜」に出てみると
そして「田並の浜」に出てみると
そして「田並の浜」に出てみると

そこには、いつもと変わらない穏やかな景色が・・・
いつもと・・・といっても私は、たかだか30年
熊野詣が盛んだったのは、平安時代後期というから(平安時代、794~1185年頃)1000年以上も前の話。
その時代の古道を歩き、往時の人も見たであろう「この景色」
永く守っていきたいと思います。

(30年というのは、ここは家内の故郷、結婚して30数年です)

それでは。 2006/12/09  2:00 記

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