奥能登紀行

お酒 2005/06/04 記
久しぶりの休み、と言っても2~3泊しか出来ないが、今回は煙なし(蒸気機関車とは無関係の旅行)
出発予定の5月21日(土)は、夕方まで仕事の予定がある。時間を決定できないので今回は自分の運転で出かける事にした。家族は「疲れに行くようなものだ」と反対するが、列車で移動し、レンタを利用するより自分の車の方が落ち着くし。予定より少し遅れ、19時ごろ自宅を出発、金沢へ。

ゴールデンウィークに行った余呉湖の傍の賤ヶ岳サービスエリアで夕食。
金沢では市内の繁華街にホテルを予約してあるが、23時ごろの到着になりそうなので早めの夕食にした。
案の定金沢に入ってホテルまでの道は渋滞。あと500mを30分ぐらいかかった。タクシーと運転代行の車の列で動かない。やっとの思いで到着。家内と夜の街へ。
23時をまわっているが、街中は若者でごった返している。なんか場違いなものを感じ、ほどほどにホテルに帰ってやすむ。


奥能登紀行
奥能登紀行

なぎさドライブウェイ
なぎさドライブウェイ
なぎさドライブウェイ

明けて5月22日(日)晴れのち雨
千里浜をドライブして、昔C56重連を撮影した七尾線穴水から能登の最北端・禄剛崎(ろっこうざき)を廻り、輪島近く「ねぶた温泉」が泊まり。
私の知る七尾線、3セク・のと鉄道(穴水~蛸島)も今はなく、昔・蒸気機関車を撮影に来た私にはちょっと淋しいが。


千里浜(ちりはま・なぎさドライブウェイ)は、砂浜が道路みたいになっていて波打ち際を走る。
車には良くないが、気持ちはいい。全長8km。


軍艦島 今昔

千里浜のインターから有料道路に戻り、穴水・・見附(みつけ)海岸・軍艦島へ。
40年前の写真と比較して軍艦島の左の島がちっちゃくなっている。40年ですものね。

軍艦島 今昔
軍艦島 今昔
軍艦島 今昔
軍艦島 今昔

珠洲駅
珠洲駅
珠洲駅

3月に廃止になった、のと鉄道の珠洲駅に寄る。駅舎もホームも残っているが、線路は、赤く錆びている。
車社会、バスに変更となってしまった。

  珠洲駅


家内の好きな焼物・・近くでは珠洲焼(すずやき)
平安から室町(12世紀後半~15世紀後半)にかけ、日本列島の4分の1を商圏にするほど栄えましたが、15世紀後半に急速に衰えました。灰黒色が特徴で珠洲市で40基の窯跡が見つかっています。

東北鬼門・日本海の守護神を祭る須須神社(すずじんじゃ)にお参りをして・・・・・「あっ!!」何気なくカメラの後ろ側を見て・・・フィルムが入っていない。ガァ~ン
機関車の撮影行では、いや今までフィルムを入れ忘れた事など1度もない。
ボケが来たかとちょっとショック。「そんな事もある、ぶらり旅の写真も要るし、戻ろうよ!!」と言ってくれる家内。見附までなら20kmぐらい、なぎさドライブウェイは帰りに寄れる・・気を取り直して軍艦島へバック。


1時間ぐらいのロスタイムだったが、狼煙灯台(禄剛崎)へ。
能登半島・最北端のこの灯台は、明治16年(1883)から今も現役だ。
40年前の同じ場所からの比較・・・面影は灯台のみ。

時国家(ときくにけ)
時国家(ときくにけ)
時国家(ときくにけ)

車は外浦にでて、500年前から同じ方法の塩づくりが見学できる「奥能登塩田村」へ。
でも今日の実演は終了との事で残念。

時国家(ときくにけ)に向かう。今から800年前・平清盛の義弟・平時忠は、源平の合戦後能登に配流となり没する。その子時国は、300石を統治し、現在の建物は江戸時代のもので25代当主がこの屋敷に住んでいる。入母屋茅葺の屋敷には「大納言の間」や庭は拝観できる。家内と「この家、冬はきっと寒いね」と。
他に誰もいなかったので受付で(時国家の方)話したが、文化財に住むしんどさが伝わってきました。

夕方も近づき、「ねぶた温泉」(輪島の北10km)へ。
ここの温泉は、私の「おすすめの湯」5指に入る。アルカリ泉でPH10.5、女将も若いけど、陣頭指揮で心地よい。(宿は、海遊・能登の庄
いい宿、美味しい料理、うまい酒、旅はこうでなくっちゃ!!

白米の千枚田
白米の千枚田
白米の千枚田

明けて5月23日(月)曇り時々小雨
昨日寄らなかった「白米の千枚田」(しろよねのせんまいだ)へ。海へ向かう斜面に広がる棚田。大小合わせて1004枚あるそうな。一見の価値あり。
次に、女将に聞いておいた漆器の店へ。輪島と言えば「うるし」。その前に噂に聞く「輪島の朝市」をちょっと覗く。私の思いとちょっと違ったのは「客寄せの口上」というか「客引き」のやりすぎ。
漆器は「今、特にほしいものもないしね」って事で目の保養のみ。
 輪島・朝市 

今日の泊まりは、山中温泉。能登の海岸美を楽しみながら、九谷焼の窯元見学でも出来れば・・。
輪島を後に琴ヶ浜(泣き砂の浜)へ、島根や丹後半島の鳴き砂にも行ったがここの砂は泣かなかった。
何故?海が汚れている、ペットボトル等多くのごみが打ち上げられている。これでは、砂が鳴かずに「海が泣いている」

途中「曹洞宗大本山 総持寺」へ。??曹洞宗の本山は、永平寺では??総持寺のパンフには「大本山が2つあって、1つの宗派の曹洞宗」と書いてある。??
それにしても写真の「山門」の大きい事。空(くう)・無想(むそう)・無作(むさ)の三解脱(さんげだつ)に入るという意味から「三門」とも呼ばれている。
伽藍を巡り、しばし休息。

「ヤセの断崖」へ、海に突き出た35mの断崖。断崖への道は自殺を思い止まらせる言葉を書いた看板。月曜日なのにやけに車が多い。断崖への道で俳優らしい人がサインをしている。ロケをしているようだ。松本清張の「ゼロの焦点」で有名になった断崖、?曜サスペンス劇場の撮影かな?
断崖の傍で女優とすれ違った、きれいな人だ・・・でも知らない。だってサスペンス劇場は見てないから。
断崖は、上から見てもダメ、高さを撮るには横からでないと・・・場所を移動しパチリ。

この断崖より「義経の舟隠し」の方が圧倒される。頼朝の追っ手から奥州へ落ちのびる途中、海難から逃れるためにこの入り江に48隻の舟を隠したと伝えられる岩場です。


私のドジで再度撮影のため千里浜を経由し、金沢市内へ。
九谷焼の土産を買いたくって・・、千里浜を後にし、金沢に近づいた頃、前が見えないぐらいの大雨。
ラッキー!!千里浜で車についた潮がきれいになる。
お揃いのコーヒーカップを購入し、山中温泉へ。

早めに宿に入り、渓谷散策でも・・宿は、「鶴仙峡」という渓谷沿い。
早速、家内と散策に、渓谷沿いに上流へ、こうろぎ橋って橋まで40分ぐらい緑の中を歩く。
でも対岸にはホテルが軒を連ね、渓谷散策とは言いがたい。

今までに食べた事のない素材、高級なんだろうが、私たちには・・・おやすみなさい。


星 5月24日(火)晴れ
宿で確認したが、九谷焼の窯元見学は難しそう。個人の窯が多く見学OKのところが少ない。そこで九谷焼窯跡展示館へ。でっかい窯跡をドームで囲って保存しているが、どうも窯の全体がイメージできない。写真の小ぶりな窯の方が私たちには分りやすい。
今日は、九谷焼めぐりに時間をとっていたが、窯跡見学で終わってしまった。
国道8号線沿いの九谷焼の店を5軒ほど巡り・・・時代を感じる事が・・・灰皿が少ない。時代と言ってしまえばそれまでだが、愛煙家の私には、しゃ~ないけれど、淋しい。

福井の北前船主の館「右近家」に向かう。

北陸道で武生ICまで、そこから日本海の海辺まで20Km。
江戸中期から明治30年代にかけて、大阪~蝦夷地を結んで日本海廻りで往復した廻船を「北前船」と呼び、右近家は、北前船主として天明・寛政の頃から活躍し、北前船が衰退後、蒸気船を導入、海上保険業に進出、日本火災海上保険として現在に至っている。
明治34年の建物を見学します。



いよいよ帰阪の途、河野海岸道路(海の傍・・いや上を走る)で再び車は潮まみれ・・帰ったら洗車しなくっちゃ。帰宅してからも「旅の続きを楽しもう」って事で、敦賀駅で駅弁を買い、夕食は「駅弁」、幕の内と鯛めしを。
4日で1000Kmほどの旅。
私にとっては40年ぶりの奥能登でした。
家内は、ねぶた温泉が気に入ったらしく「ここならまた来たいね」っと。
(05/05/24 17:00大阪着)


それでは。 2005/06/04 記

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