高野山
高野山
高野山

平成22年4月29日(木) 晴

4月29日は、毎年「立里の荒神さん」にお参りする。

もう25年以上の習慣だ。
今年も朝・8時、家内と自宅を出発。
毎年同じ日に同じルートで同じ場所に向かうと
「今年は、寒かったのに桜が終わってるね」ってな会話になる。
事実、今年は、春先に寒い日が続いているのに高野への道中の桜は、葉桜になっている。

今年は、いつもと違うのは、「高野山にお参り」が予定されていること。
例年は、高野さんを通過し、高野から車で30分ほど奥にある荒神社に直行している。
10時前に金剛峯寺の駐車場に到着。
「めちゃめちゃ、速いね」・・・確かに道中の車の量は少なすぎるぐらい。
走りやすくって文句を言ったらあかんのですが、異常なくらいスムーズだった。
写真は、大門(だいもん)

高野山
高野山
高野山

高野山(こうやさん)は、和歌山県伊都郡高野町にある標高約1,000m前後の山々の総称。平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師空海が修行の場として開いた高野山真言宗、ひいては比叡山と並び日本仏教における聖地である。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)をはじめ117ヶ寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。

平成16年(2004年)7月7日、熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界文化遺産に登録された。(Wikipedia)

金剛峯寺(こんごうぶじ)へ

金剛峯寺
金剛峯寺
金剛峯寺

高野山真言宗の総本山で座主の住寺。金剛峯寺は元は高野山全体の称だが、現在金剛峯寺と呼ばれるのは明治2年(1869年)に2つの寺院が合併したもの。もと青巖寺(剃髪寺)と呼ばれた寺院は文禄2年(1593年)、豊臣秀吉の建立、文久3年(1863年)、再建。歴代天皇の位牌や高野山真言宗管長の位牌をまつっている。大主殿、別殿、新別殿と分かれており、別殿では観光客に湯茶の施しがある。襖に柳鷺図のある柳の間は豊臣秀次の自刃の間。屋根の上に置かれた防火用の水桶は、かつては高野山全域で見られたが今も置かれているのはここのみ。また、金剛峯寺境内にある「蟠龍庭」(2,340m2)は日本最大の石庭(Wikipedia)

大塔(だいとう)
大塔(だいとう)
大塔(だいとう)

写真は、大塔(だいとう)
887年ごろに完成したと伝えられています。弘法大師は、この大塔を真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。


門をくぐって・・・「金剛峯寺って、初めてじゃない?」
今まで何十回も前を通過しながら。
「奥の院は、何回もお参りしてるのに」と二人でびっくり。

東塔から大塔
東塔から大塔
東塔から大塔

東塔から大塔を

女人堂
女人堂
女人堂

女人堂は、女人禁制の時代、礼拝が許されなかった女人が参拝した御堂。
明治初期までは高野山は女人禁制でした。
女人堂から多くの女人参拝者が遥かな大師廟を拝して、昼夜読経の声が絶えなかったと伝えられています。

奥の院
奥の院
奥の院

奥の院へ


立里の荒神さん

高野山から車で30分ほど、立里荒神社

毎年同じ日にお参りしますが、年々、この階段をきつく感じる。
最初にお参りしたのは、30年ぐらい前かと。

写真は、寄進された鳥居が参道を埋め尽くしている。

参拝を済ませ、休憩しようと座るが、手先が冷たさにしびれを感じる。
4月末ながら、1000m以上の高さゆえか。

早々に下山

毎年同じ日に出掛けて、今年感じたこと。
高野さんも立里(たてり)さんも参拝者の少ないこと。
団体での観光が少なくなっているのかもしれません。
でも立里さんは、観光バスで参拝という訳ではない。
今年は、高野で時間を使ったので午後1時過ぎに立里到着。5年ぐらい前なら駐車するのに困ったのに全然問題なし。
参拝者の高齢化?私もいつまでお参りできるか?と二人で話しながら帰途につきます。

立里の荒神さん
立里の荒神さん
立里の荒神さん
立里の荒神さん

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