リベンジ!!雲海を訪ねて 竹田城址

リベンジ!!雲海を訪ねて 竹田城址
リベンジ!!雲海を訪ねて 竹田城址
地図

     平成20年11月2日(日) 晴

昨年11月、「雲海を訪ねて・・」で訪れたが、自然が相手・・雲海を見れなかった。
リベンジって事で、義父の法事に帰省していた次男も合流し、久しぶりに家族4人で出かけた。

場所は、昨年と同じ:竹田城址
兵庫県朝来市和田山町(標高353.4m)
目的地に近付いて、10月にも訪れたと言う長男が「今日は、大丈夫。ちょっと薄いけど」と。「薄い」とは、「少ない」という意味らしい。

5時過ぎに東大阪の自宅を出発。現地着は、7時半。
ちょっと息切れしながら城跡に登ってワンショット目。


雲の湧き上ってくる感じは、ちょっと「薄い」のかもしれません。
でも早起きが苦手な私には、あまり体験したことのない「新鮮な感覚」でした。


反対側に目をやると、雲が切れています。
きれいなアーチは、播但道です。

354mと、そんなに高くはないのですが、雲の上にいるって感覚を味わえます。


竹田城址で雲海なら、
このショットが定番かなって思います。

淡い朝陽が城跡を包んでいます。


久しぶりの家族の会話は、
「この石、運ぶの大変だったろうね」
「穴太衆は、すごいね」
「もう400年は経っているのに、ビクともしていないね」
「出石の出城でこの規模だから・・・」
「やっぱ、時の権力だな」

思い思いの感想を残しながら、お土産のお菓子を求めに生野に戻ります。


玄武洞

地図

     豊岡の玄武洞に向かいます。
長男の「玄武洞の渡し船が復活してる」って話で「乗りに行こう」となりました。


渡し船は明治後期、玄武洞駅の完成を機に、円山川両岸にある二地区が合同で運航。当時、城崎温泉から玄武洞への川沿いの道はなく、観光客らにとって唯一の交通機関だった。最盛期の約40年前には年間30万人以上が利用していたという。
しかし、周辺の道路整備などが進み、利用客が減り、1999年営業を停止した。

船頭さんに聞いたところでは、今年の夏から復活したと。

玄武洞
玄武洞

私たちは、玄武洞側に駐車し、玄武洞駅まで渡し船で。
(駅と玄武洞の間に円山川がある)
玄武洞駅に着いたものの・・・「北近畿」のワンショットを収め、再び渡し船で対岸へ。
電話をかけるとすぐに迎えに来てくれます。
片道300円でした。


玄武洞
玄武洞
玄武洞

約160万年前に来日岳(標高566.6m 豊岡市城崎町)の噴火によって噴出されたマグマが冷却され、玄武岩塊が形成された。約6,000年前に波の侵食により玄武岩塊がむき出しとなった。これを人々が採掘し今日見られる洞窟が形成された。

江戸時代後期の文化4年(1807年)幕府の儒学者・柴野栗山がここを訪れ伝説上の動物玄武の姿に見えることから「玄武洞」と名付けた。また、「玄武岩」の名称は、明治17年(1884年)東京大学の地質学者・小藤文次郎が岩石の日本名を制定する際に、玄武洞の名に因んで命名した。(wikipedia)

青龍洞
青龍洞
青龍洞

玄武岩の柱状節理・板状節理によって、洞窟内では亀甲状の天井や5~8角の石柱がみられる。
2007年、日本の地質百選に選定された。


青龍洞

玄武洞の中では最も長い節理が見られる。
洞の高さは33m、巾40mで石柱は中央に向かって傾斜しており、長い節理は1個で15mに及ぶものもあります。

白虎洞
白虎洞
白虎洞

水平方向(横)の節理ばかりが並んでいる。
傾斜をした地形の上に流れて固まったためか、出来る時地すべりか地震によって移動したためだともいわれている。
玄武洞の垂直方向に節理に比べると細い。
一般に柱状節理は、ゆっくり冷えたところほど太くなるので、この付近は、溶岩の周縁部だったことが分かります。

南朱雀洞
南朱雀洞
南朱雀洞

南朱雀洞脇の岩石を見ると、節理が見られず、表面がゴツゴツしています。
これは、溶岩流の先端と考えられます。
溶岩の表面が急に冷やされて固まっても、まだ内部は熱く、あとから溶けた溶岩が押し出してきます。
そのため表面が破壊され、塊状の岩石の集まりになります

北朱雀洞
北朱雀洞
北朱雀洞

この洞は羽をひろげた朱雀の姿に似ていることからつけられたものです。





いつも「ニコイチ」(家内と2人)で出かけますが、今回は、久しぶりに息子たちも参加です。

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