義母を偲んで
義母を偲んで
義母を偲んで

私事で恐縮ですが、義母が亡くなりました。
南紀串本近くに家内の実家があり、大阪生まれの大阪育ちの私にとって海の見える田舎でした。
年に何度となく帰省していましたが、足が悪かった義母は階段や長い距離を歩くのを嫌いました。
自分の家の中では、自由に動いていました。

花をこよなく愛した人でした。
庭の季節の花達が、いつも私たちを迎えてくれました。
出不精の母を誘って、花見に出かけるのも恒例でした。
平成11年に「♪ここは串本、向かいは大島・・なかをとりもつ巡航船~♪」のメロディーで有名な大島に「くしもと大橋」が完成し、大島にも簡単に渡れるようになりました。

義母を偲んで
義母を偲んで
義母を偲んで

橋が完成してから3度大島に行きましたが、車からおりない母でしたので、樫野崎の灯台や奇岩の景勝も私は見た事はありません。
道中で「石で作った白い灯台で・・・」と、母は若い頃の記憶で話してくれます。
「車で待っているから見ておいで」とも。
でも・・・・・

11月22日は、義母の初七日。
13時からの法要ですので午前中に家内と大島に渡りました。
この写真は、橋杭岩の傍から見た「くしもと大橋」左側が大島です。

土耳其軍艦エルトゥールル号」遭難慰霊碑
土耳其軍艦エルトゥールル号」遭難慰霊碑
土耳其軍艦エルトゥールル号」遭難慰霊碑

樫野崎の駐車場までは何度か来ています。
車を止めて、樫野崎の灯台に向かいます。家内と「ここも車椅子を持ってくれば行けたね」、「でも車椅子も嫌いだったからね」と話しながら・・・10分ぐらい歩いたでしょうか。
この写真、「土耳其軍艦エルトゥールル号」遭難慰霊碑
漢字でトルコってこう書くんですね。
明治23年にこの付近で遭難し、587名の乗組員の慰霊碑です。

「樫野崎灯台」(かしのざき)
「樫野崎灯台」(かしのざき)
「樫野崎灯台」(かしのざき)

駐車場から5分ほど歩くと「樫野崎灯台」(かしのざき)
確かに白い石の灯台です。修理中でしたが。

案内板には「リチャード・ヘンリー・プラントン(英国人)が我が国で最初に手がけた石造りの洋式灯台で、明治2年4月に着工され、明治3年8月の完成を待たずに同年6月10日に点灯して業務を開始した事でも、当時灯台建設が諸外国にとっていかに急がれていたかを知ることが出来ます」

水仙が咲いています。(灯台の手前)11月??大島の中では山茶花も。
ゆったりとした時の流れだけでなく季節感も違います。

駐車場に戻り「海金剛」に向かいます。(左)
「魔女の髪梳き岩」・・手前の切り立った岩礁でしょうか?
奥の右端に樫野崎の灯台も見えます。

義母と何度か来たのですが、この景色はついに一緒に見る事はありませんでした。
潮岬をぐる~っと廻り、家へ戻ります。
今年の4月の花見の帰りにもこの道を走りました。
そして潮岬灯台の見えるここで休憩したのも、ついこの間のように思いますが・・・・・

想い出といっしょに、樫野崎で拾ったドングリと
金柑(大島の名産)がなかったので、大島の無人売店で買ったみかんをお供えしました。

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